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真田丸で注目 井伊の赤備 五料の茶屋本陣 - 群馬の観光や名物と上毛かるた

真田丸で注目 井伊の赤備 五料の茶屋本陣

『中仙道しのぶ安中杉並木』札画像『中仙道しのぶ安中杉並木』

■『おんな城主 直虎』の宣伝?

 NHK大河ドラマ『真田丸』本編の放送が終わって10日以上が過ぎました。そして12月30日には12:15から一気に4時間18分の総集編が放送されます。大河ドラマの総集編をキチンと見たことないのですが、単なるダイジェストなんでしょうか。それならば全話録画してあるので見なくても良いかと思いつつ、用事を片付けながらなんとなく見るか、やっぱり録画しちゃうだろうと思います。

 さてそんな真田丸、たくさんの名場面や名ゼリフがありましたね。「大博打の始まりじゃあ!」「黙れ、小童!」「おのおの、ぬかりなく」とか数え出したら切りがありません。その中でも割と最近の放送で、完成した真田丸の櫓から徳川勢を眺めている真田幸村(信繁)と高梨内記の会話が非常に気になりました。

 第45回『完封』のオープニングも含めて冒頭から約18分30秒あたりから再現してみます。

幸村「壮観だな。」
内記「相手に不足はございませぬ。」
(内記、右方向を見て少し驚いた様子)
内記「あちらにも赤備えがおりますぞ!」
幸村「あれは 井伊直孝の陣。かの井伊直政の次男坊じゃ。」
内記「井伊でございますか。」
幸村「向こうにも ここに至るまで 物語があるのだろうな。」
内記「一度 聞いてみたいものですなあ。」
 勇猛さの証ともいえる「赤備」が敵方にもいることに驚き、感心した。というだけならばまぁ、なんてことはないのですが、『井伊(の)ここに至るまで(の)物語(を)一度 聞いてみたいものですなあ。』と繋げて考えて「完全に『おんな城主 直虎』の宣伝じゃん。“ここに至るまでの物語”をドラマで見てねって訴えてるんじゃん」と想像してしまいました。

 いえ、決してそれで嫌な気分になったわけではなく、三谷幸喜さんらしい洒落っ気に楽しい気分になりました。

 ただ、しばらく前に 真田伊賀守のお墓 について書いた時に調べたように、井伊直虎が亡くなったのは天正10年(1582年)、本能寺の変と同じ年なんですよね。どこをどう引き延ばしても、直虎が主人公で大阪の陣に至るまでの物語にはなりませんね。あくまで洒落ってことだったのでしょう。

 そんなことを考えながら、安中市松井田町の「五料の茶屋本陣」で「井伊の赤備(いいのあかぞなえ)」を見たことを思い出しました(※注:真田丸の字幕では「赤備え」。五料の茶屋にあった資料では送り仮名のない「赤備」になっていました)。

■お西とほぼ同じ構造のお東

 五料の茶屋本陣の正面に向かって左(西)にある建物「お西」は今までに何度か書いてきました(訪問は2015年4月)。
【2015年4月訪問時 五料の茶屋関連記事】


 あぁ~最後の土間の古民具展示は中途半端なところで区切ったままですね。そっちを先に書くべきなのでしょうが、今日はもう井伊の赤備に目が向いちゃったので飛ばしちゃいます。

 お西の見学を終了して、お東に進むところからスターします。
お東を案内する矢印
矢印がなくとも向こうに白壁が見えてるので進む方向は分かりますが、こういう風に明確にしてもらえると「行っていいの?」と迷わずにすむのでありがたいです。

 砂利の小道を進むとお西とお東の間は『花塚』の石碑がある空間。
花塚の石碑と周辺
(良く分からないというのもあり)飛ばします。

 花塚の前を通り、少し北に進むとお東に到着です。
敷地入口から見たお東

 右を向くと白壁も眩しい大きな蔵。
土蔵
この位置では壁がキレイというだけで何も分からないですね。蔵の入口がある反対側を確認しましょう。

 正面が『土蔵』、左側が『味噌倉』だそうです。
土蔵と味噌倉の入り口
空調や照明の話は別にして、広さだけなら私は家族で充分住める気がします。実際に今住んでいる家と比べてどうなんだろう……考えないことにします。

 敷地の南側には立派な門(施錠されていました)。
お東の門
門の左側に掲げられた案内板の内容を丸っと引用します。

群馬県指定史跡
五料の茶屋本陣・お東
碓氷郡松井田町大字五料甲五六六番地
昭和五十九年十二月二十五日 指 定

 五料の茶屋本陣・お東は、江戸時代の名主屋敷で、中島家の住宅として使用されていました。
 中島家は、代々名主役を勤めており、茶屋本陣としても利用されました。
 この建物は、間口十三間半、奥行七間で、当家に伝わる古文書によると、文化三年(一八〇六)に建てられたもので、その後の大きな改造もなされず、書院づくりの上段の間をはじめ式台などに当時のおもかげをよく伝えています。
 また、古文書などもよく保存されており、建物とともに江戸時代の農村、街道交通などを知るうえで重要であり、祖先を同じくする「お西」とともに並んで現存することは全国でもめずらしく貴重な史跡です。
群馬県教育委員会 
松井田町教育委員会
まだ松井田町が安中市に合併される前に立てられた案内板のようでした。

 案内板の左に建つのはまたもや蔵です。
お東・東側の蔵
右が『穀蔵』、左は『味噌倉』……えっ、さっきの白い蔵にも味噌倉がありましたね。あぁ、何も文字の通り味噌のみを保存したわけではなく、調味料全般ということでしょうか。

 この蔵の前あたりで振り向くとお東の母屋全景が(ちょっと切れてますが^_^;)写せます。
お東・母屋全景
同じようなアングルのお西と見比べればどれだけ似ているか良く分か……あぁ~、似たよなアングルが見つからない……。また今度じっくり探しておきます。

 では、玄関から内部へ……
お東・母屋玄関

 え~っと、土間に展示されていたのは何かの絵画のようですね。
お東・土間の展示風景
『木曽街道六十九次』かな?個別に土間を紹介する時に確認してみます。

 とりあえず今日のところは端折ってしまい、座敷の奥へ進みます。
お東・靴脱ぎ場
スリッパに履き替えて……

居間に展示された五月人形をパシャリ。
お東・居間の五月人形
ブレちゃいました。

 気にせず外の方に目を向けると……
お東・居間の障子
ちょうど良い光の加減で障子がとてもキレイでした。

 その先の部屋ではガッシリとした柵に守られた展示が登場。
お東・屏風展示
屏風が値打ちモノですかね。でも、ここも飛ばします。この写真で柵に沿うように進んだ先にあるのが『下の間』。

 部屋の際まで動いて、下の間を広く撮ろうとしたのがコチラ。
お東・下の間を南から
はい、ここでようやく床の間に鎧兜が登場しました。

 ここでバッテリーが切れてしまったため、別のカメラに変更です。少々サイズが変わりますがご了承ください。

■戦争ごっこに使われたほどポピュラーだった「井伊の赤備」

 実は上の写真の時点では「ヨロイがあるなぁ~」程度の認識。カメラを変えた後に近づいて「おっと赤備えじゃないですか」という状況です。
お東・赤備えに近づいたところ
「ま、赤備えと言っても後世塗ったものなんかも多いんじゃないの?」などと失礼なことを考えながら手前に置かれた解説書を手に取り『井伊の赤備』との説明に少々驚いた次第です。

 いくぶん長くなりますが経緯も分かり易いのであまり省略せずに引用します。

井伊の赤備
 「赤備」で名高いのは甲州武田の騎馬軍団である。一条、土屋、原、山県、小幡の諸将の中でもとりわけ山形三郎兵衛昌影の率いる三百の騎馬軍団が世に知られている。
 「赤備」はその名の示すように、甲冑ばかりか、武具から馬具に至るまで総て朱(赤)の色に統一された赤一色の軍団である。
 武田滅亡後(1582)の山県の赤備は武田の遺臣と共に、織田支配を経て同年本能寺の変後に甲斐信濃へ進出した徳川家康の四天王の一人、井伊直政へと引き継がれた小幡の赤備も武田滅亡後の一時期後北条氏に臣従したが小田原開城後、同様に直政に引き継がれた
 天正18年(1590)、松井田落城後の8月に江戸に入った家康は、直政に越後と信濃に備えて上信の国境警備を命じた。直政は早速横川の関長原に関所を設けた。これが近世碓氷関所の前身である。この地は入山峠越えの延喜の東山道と鎌倉期以降の新東山道(熊野権現通り)との分岐点にあって警備の要衝に位置する。
 また、大道寺の旧臣佐藤監物とその一統を入山にはりつけて入山峠を固めた。この時、井伊家から支給された「赤備」が代々伝えられて昭和30年代まで入山地区の各家庭にあったという。これは同地の佐藤直雄家に伝えられていた二領の内の一つである。
(中略)
 戦前の一時期、村落中の子ども達が伝家の鎧を着用して戦争ごっこで遊んだので一部に欠損は見られるものの、誠に貴重な「井伊の赤備」の一領である。
 この「井伊の赤備」は昭和41年、入山小学校(当時は第四小学校)に寄贈されたものだが、入山小学校が平成7年3月31日をもって廃校になったので、このお東に安住の地を求めたものである。
 武田からの流れを汲む赤備は井伊直政に引き継がれたというポイントがご理解頂けたと思います。

 井伊家から支給された物が昭和30年代までゴロゴロ残っていて、子ども達がチャンバラで傷を付けてしまうほど完全にこの地区の人々の生活に溶け込んだ存在だった、というのもスゴイことですね。

 どういうモノか分かったので、もうちょっと近づいて……
お東・赤備えにさらに近づいたところ
う~ん、真正面から撮ったら私のアホ面がケースに反射してしまいました。残念ながらお見せできません。

 なんとかもう少し大きく映るように縦向きで1枚。
お東・赤備を縦アングルで
『戦前の一時期』ということは、実際に着用経験のある方はもうほとんどおられない貴重な出来事なのでしょうね。いいなあ、私もチャンバラとはいいません、お試しでいいので着用してみたいです。

 ところで上の解説を見ると、直政が山県の赤備を引き継いだのは本能寺の変の後なんですね。直虎が亡くなるのは本能寺の変の2~3ヶ月後。もしかして『おんな城主 直虎』の最終回は直政の赤備を直虎が目を細めて見ているなんてシーンで終わったりするんでしょうか。最終回が近づいたら良くチェックしてみようと思います。

◆五料の茶屋本陣

所在地:群馬県安中市松井田町五料564-1
電話:027-393-4790
入館料:大人210円、子ども100円
開館時間
 冬季以外:9:00~17:00(入館は16:30まで)
 冬季(12~2月):9:00~16:30(入館は16:00まで)




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2016-12-30 08:58 | from - |

鍵コメさん

あっ、やっぱりコチラにも送信して頂いてたんですね。
ありがとうございました。

お互い飲み過ぎ食べ過ぎに注意して楽しいお正月を過ごせたらいいですね(^^)
2017年もよろしくお願いします。

2016-12-31 00:48 | from トカ太 | URL

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