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真田伊賀守のお墓(本編) 迦葉山弥勒寺 - 群馬の観光や名物と上毛かるた

真田伊賀守のお墓(本編) 迦葉山弥勒寺

『沼田城下の塩原太助』札画像『沼田城下の塩原太助』

 似たような記事タイトルになってしまいましたが、おとといの更新では背景説明などで行数を費やしてしまい 真田伊賀守のお墓に未到達 でした。今日はしっかり墓前まで話を進めたいと思います。

■群馬県名誉県民 長谷川四郎氏のお名前を発見

 前回書いたとおり「中雀門」からスタートします。
迦葉山弥勒寺現地案内図「中雀門」を強調
迦葉山弥勒寺「中雀門」 なんだか足下が不思議な状態。どうやって通過するのか近づいて良く見てみましょう。

 が、その前に額にも注目
迦葉山弥勒寺「中雀門」の額
『桐生敬神講』が『昭和三十六年四月吉辰』に奉納した額ということでしょうか。それとも門そのものの建立費用を桐生敬神講が負担したという意味ですかね。よく分からないです。そして、たくさんの方のお名前のトップには『代議士 長谷川四郎』と書かれています。

 長谷川四郎氏といえば2016年12月現在、9名しかいない群馬県名誉県民 のひとりです。
群馬県庁昭和庁舎 長谷川四郎の肖像画
(この写真は 名誉県民が8人だった時 に群馬県庁昭和庁舎の正面玄関ロビーで撮った肖像画)

 1905年1月7日生まれ、1986年8月7日に他界された政治家で、貧困に挫けず市井の魚屋から衆議院副議長にまで上り詰めた人物として知られています。

 この中雀門の額を奉納(もしくは中雀門そのものを建立)した1961年にどのような状況だったか私は知りませんが、衆議院議員初当選(1949年1月)から10年以上経過し、7年後に初入閣を果たす(第2次佐藤第2次改造内閣の農林大臣)ということを考えると、有力議員としての地位を固め、さらに各方面への影響力を強めていた時期でしょうか。

 数少ない群馬県名誉県民に選ばれるくらい地元への貢献も大きかったらしいので、文化施設等への寄付・寄贈も多かったのでしょう。あまり意識していなかったので過去記事に登場した場所でも見落としがあったかも知れません。今後は注意してチェックして長谷川四郎氏のお名前を見つけた場所のリストでも作れたら面白いと考えています。

 おっと、今日もいきなり脇道にそれてしまいました。もう一回分割するほどの情報量はないので、伊賀守のお墓に向けて先を急ぎます。

■中雀門を過ぎると急に山林風景に変化

 いや、この見出しは語弊がありますね。元々山林地帯だった場所に建てられたお寺ですから、平らにならした場所と斜面をそのまま活かした場所が敷地内に混在している、というのが正解でしょう。

 その境目のように見える中雀門の目の前まで進むと……
中雀門の目の前
ほほぉ~、ここをくぐって進むんですね。

 こんな風に半地下の通路で渡り廊下をくぐるというのは一般的なんでしょうか。前橋市の 臨江閣 でも、本館と別館をつなぐ廊下の所がこんな具合でした。
臨江閣の渡り廊下

 そうかと思えば太田市の 大光院 では、本堂と開山堂をつなぐ廊下は結構な高さで地面は掘られていません。
大光院の渡り廊下
どういう違いなんでしょうね。廊下が出来た時期と、廊下の向こうとこちらをつなぐ必要が出てきた時期の関係とかでしょうか。まぁ、これも脇道の話なので今掘り下げるのはやめておきます。

 とにかくもぐって……
中雀門の下

頭をぶつけないよう中腰で進んで……
中雀門の下から見た向こう側

通り抜けた先はこんな光景です。
中雀門を過ぎた所

 正面の長い階段の上にあるのは「迦葉堂」。
階段の下から見上げた迦葉堂
当然、階段の段数を数えたりしながらそちらへも行きましたが、今日のところは右の道を進んだことにして伊賀守のお墓を目指します。

 あっ、因みにこの赤い橋がかかるのは「洗心池」。橋から右を見たらこんな様子でした。
橋から見た洗心池
(って、また数メートル進むあいだに何枚写真を出すのやら^_^;)

 いい加減、本当に先に進んで見えてきたのは「開山堂」です。
開山堂に近づいたところ
今日のところはモチロン紹介は見送ります。

 開山堂の向い辺りに見えたのは……
開山堂に近づいたところ
案内図に照らすと「書院」か「篭堂」か、はたまた「典座寮」かってところなのですが良く分かんないです。

 この先には建物がないせいか木々は伐採されておらず、鬱蒼とした中を進むことになります。
開山堂の先の道


■真田伊賀守のお墓と歴代住職のお墓がズラリ

 少し進むとかなり目立つ巨木が林の向こうに見えてきます。
巨木が見えてきたところ
その目立つ木を目指して歩を進めると……じゃなくて、道がそうに通じてるだけなんですけどね。

 どうやらここが墓所のようです。
墓所と巨木
って、卒塔婆らしい木とかろうじて写っている墓石だけでは分かりづらいですね。

 ここで左の方に目を向けるとこの通り。
墓所と巨木
はい、紛うことなきお墓です。

 ここで案内図を確認すると、この場所には『歴住墓所』と『真田伊賀守墓』の文字が並べられています。「歴住」というのは「歴代住職」でいいんですかね。仏教用語だったり宗派ごとの特別の意味があったりするとお手上げなんですが、歴代住職と解釈しておきます。

 そうすると「歴代住職のお墓が集まっている墓所の一角に真田伊賀守のお墓もあるよ」というオマケ的な扱いに感じるのは私がヒネクレ過ぎでしょうか。まぁ、領民を苦しめて改易になってしまった藩主より、歴代のご住職の方がお寺にとっては大切でしょうね、と勝手に想像してみました。

 でも私の目的はブログネタ。人物がどうであれ、まずは「真田」の名前をもった伊賀守のお墓を確認するために手前から見ていくことにします。
墓所と巨木

 墓石の銘は私じゃ読めないだろうと、あきらめの気持ちもあったのですが、視線を下げたら新しめの石に現代の文字で案内が彫られていました。
『真田伊賀守墓』と彫られた石
「いきなりビンゴ~!(≧o≦)/」
お墓の配置にどんな意味があるか分からない(そもそも意味があるのかも知らない)ですが、「やっぱり伊賀守のお墓は端っこなんですね」という印象を受けました。

 伊賀守のお墓から前後2列(か3列)に並んだ十数基を右に行くと、ひときわ威厳に満ちたお墓があります。
位の高そうなお墓
 花の供えられた中央の墓石については良く分かりませんでしたが、その両脇にやっぱり新しめの石で案内があり、 向かって右は『天台開山慈覚大師』、左は『開基葛原一品親王』と彫られていました。

 失礼ながら全く知識が及ばないので、お寺でもらったリーフレットの『迦葉山龍華院弥勒護国禅寺縁起』の項から一部引用します。

 開創は嘉祥(かしょう)元年(848年)桓武天皇の皇子時の上野国の太守葛原一品(かどわらいっぽん)親王の発願を受け比叡山三祖円仁慈覚(えんにんじかく)大師により、国家繁栄、民生安泰の鎮守護国寺として開かれた。
当時の状況を理解していない私には発願者の役割が良く分かりませんが、とにかくお寺の創建に携わった重要なお二人ということなのでしょう。

 ほかのたくさんのお墓はみな「第○世」と書かれていました。歴代のご住職でしょうね。最も最近が第何世か少々気になったものの、ロクな信心を持ち合わせていない私が、あまり墓所をウロウロするのもどうかと気が引けてしまいました(他の写真を拡大したら四十世は超えていることが確認できました)。

 気が引けて、体も引けた位置から最後に1枚。
墓所ほぼ全体
 左端が真田伊賀守のお墓です。位置はともかく墓石が大きいのは、曲がりなりにも藩主だったことに対する敬意のあらわれでしょうか。それとも真田家側が住職のお墓より大きなものを準備したんですかね。気にはなりますが調べる伝手もないので、あまり拘泥しないことにします。

 2015年5月に訪問した時の迦葉山弥勒寺について、これで5回ブログに書いたことになります。が、単純に残っている写真の枚数で考えるとまだ半分も紹介できていません。2016年も終わろうかというのに何をやっているのやら……。

 街中の商業ビルのように「あれぇ?またここのテナント変わってるよ」なんてスピードでの変化は無いと信じて、2年経とうが3年掛かろうがじわじわと紹介していきたいと思います。


◆迦葉山龍華院弥勒護国寺

所在地:群馬県沼田市上発知町445番地
電話:0278-23-9500
『迦葉山龍華院』公式サイト




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コメント
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No title

お墓にたどり着くまでは、アスレチックみたいに山あり谷ありで、楽しそうです。(^^♪
お参りなので、気を引きしめて進む道なのかもしれませんが、罰当たりですね。(^_^;)

2016-12-22 14:00 | from miyazyy | URL | Edit

No title

こんばんは。

お寺さんで、こんな風に潜って進むのは初めて見ました。
中腰で進むんですよね。
腰が痛くなりそう。

真田伊賀守殿のお墓。
真新しい案内石は、明らかに真田丸を意識してますよね。

それにしても、大きなお寺さんですねぇ。

2016-12-22 19:57 | from 万見仙千代 | URL | Edit

miyazyyさん

そうそう、施設こそないけど場所の雰囲気はまさにアスレチック場みたいでしたよ。
元気いっぱいの子どもたちなら喜ぶからも……。
いや、お寺に行って喜ぶ子どもなんて、そうはいないでしょうね(^_^;

2016-12-22 21:54 | from トカ太 | URL

万見仙千代さん

あっ、やっぱりあんな風に進むのって珍しいんですね。
全国でどれくらいあるか調べたら面白いかも知れないですね。
いえ、私は群馬の外は守備範囲じゃないので手を出しませんけどね。

本当に大きなお寺で、行った時は「大量のブログネタゲットー!」なんて喜んだのですが、ちっとも記事に出来なくて持て余し気味です(^_^;

2016-12-22 21:55 | from トカ太 | URL

No title

こんばんは♪
本当に無事お墓にたどり着いてよかったです(*^-^*)
ひとりで行くにはちょっと怖いかも(^-^;

信之から数えると三代目。
やっぱ、「所詮三代目」タイプだったようですね(^-^;

ところで、私も明日はお墓参りです。
綺麗に掃除してきます(*^-^*)

2016-12-22 22:03 | from シンディ・バーバー | URL

シンディ・バーバーさん

相変わらずの「牛歩ブログ」で、なかなか目的地に到達せずにごめんなさいね(^_^;
この日は大開帳期間中でそれなりの人出があったせいか、お墓への行き帰りも人とすれ違いました。でももし他にだ~れもいなかったら確かにちょっと怖いかも知れないですね。

そうそう、『真田丸』での信之はちょっと頼りない雰囲気が強調されていましたが、実際はかなり立派な人だったらしいですね。
その三代目…やっぱり何かがズレやすいんですかね。そして相続に関わる肉親の争い。経済面だけじゃなく、主家として家名を継承できるかどうか、現代人には理解し難いほど根深いものだったんでしょうね。

お寒い中のお墓参り。
防寒対策をしっかりして行って下さいね(^^)

2016-12-23 08:52 | from トカ太 | URL

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