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碓氷関所跡……現地で浮かんだ三つのギモン - 群馬の観光や名物と上毛かるた

碓氷関所跡……現地で浮かんだ三つのギモン

上毛かるた『碓氷峠の関所跡』札画像『碓氷峠の関所跡』

 ま~たサボリにサボって5か月以上も更新せずにきてしまいました。久しぶりの更新ですのでブログタイトルに掲げている『上毛かるた』の札にドンピシャと一致する内容で、上に札画像を掲載した「碓氷(うすい)関所跡」について書いてみます。
 といっても訪問は2018年の3月。かれこれ1年半も前の話です。「訪問したらとっとと記事にしろよ!!」という、ごもっともなお叱りはさて置き、そのタイミングでなければならない理由があったんです。が、今日はその点まで書くのは難しいかな……などと思わせぶりなセリフで今後のアクセス数に繋げようというズルっこい魂胆には言及せず、とにもかくにも「碓氷関所跡」について、私の頭に浮かんだ疑問などを絡めて書いてみたいと思います。

■そもそも「碓氷関所跡」ってなんでしょう?

 まず最初に「碓氷関所跡」って何?という人たちへ向けて、現地の案内板に『東海道箱根関所と並び称される中山道(なかせんどう)碓氷関所』という一文があったことを紹介しておきます。でも「箱根の関所ならば時代劇やらなんやらで色々目にするけど、碓氷関所なんて聞いたことない」という人が(特に群馬県外に)たくさんいるのでしょうね。実際に関所が関所として機能していた時代には箱根の関所と並ぶくらい碓氷関所は重要だったのでしょうけど、史跡としての「碓氷関所“跡”」は残念ながら知名度・魅力度・誘客効果などにおいて、箱根の関所に遠く及ばないと思います。
 というか、そもそも箱根は関所跡がなくとも全国屈指の観光リゾート地であるわけで、現代において「箱根関所跡」と「碓氷関所跡」を同列に語るのは無理がありそうです。
 箱根の関所はwebで見るだけでも観光資源としてかなり整備されていることが見て取れるのに対して、碓氷関所跡は正直 “しょぼい” です。って、群馬県民の私がいきなり自虐的に書いては、色々な方面からお叱りをうけそうです。私ごときが「良い・悪い」なんて論ずる気はないので、とにかく現地訪問記を書いてみます。

■なにはともあれとにかく関所跡へ

 その日、碓氷関所跡を訪問するのに駐車場として選んだのは「碓氷峠鉄道文化むら」でした。
「碓氷峠鉄道文化むら」入口
 地図で見て「碓氷関所跡」専用の駐車場が見つけられなかったので、車を停めやすく、歩いてもそれほど負担にならなそうな場所ということで選びました(行ってみたらもっと近くの駐車場もあったんですけどね)。

 「鉄道文化むら」もブログネタ盛りだくさんなのでモチロン訪問しました。
「碓氷峠鉄道文化むら」発券場所
が、それは今日のテーマとは別の話ということで、とにかく「碓氷峠関所跡」に話を進めます。

 鉄道文化むらから碓氷関所跡までテクテク歩いている間にも紹介したい写真が結構撮れたんですけど、やっぱりそれも割愛して……はい、コチラ
碓氷関所跡「東門位置」の杭
『碓氷関所跡 東門の位置』に到着です。ここが『東門の位置』だということについて後で少々書く予定ですので、この点をご記憶頂ければありがたいです。

 この杭の位置で左の方を向くと……
碓氷関所跡ファーストコンタクト
はい、なんか石段の上に古そうなものが見えます。そう、この木造の建築物が「碓氷関所“跡”」の核になります。

 さっそくブログネタ確保のために写真を撮りながら近づいていきます。
碓氷関所跡に接近(1)
碓氷関所跡に接近(2)
碓氷関所跡に接近(3)
碓氷関所跡に接近(4)
って、階段を上らずに通り過ぎるんか~いっ!!!
 いや~、実は今回初訪問だったのですが各種媒体で目していた「碓氷関所跡」はコチラ側からの写真だったので回り込んでみたんです。
碓氷関所跡正面側(?)

 で、その階段をのぼります。
碓氷関所跡正面側の階段
あっ、そうそう、画像左上に写っている白壁の建物が2018年3月に訪問すべき理由となったのですが、それはまた別の機会にってことでゴメンナサイ。

 そして、ようやく「群馬県指定史跡 碓氷関所跡」の真正面の写真の紹介です。
碓氷関所跡正面
 う~ん、“関所跡”というには関所全体の雰囲気が伝わらない気が……。そのものズバリ「碓氷関所“東門”」という史跡名で良かった気もします。

 などという私見はさて置き、ありますねぇ~、上毛かるたの札のパネルが。
碓氷関所跡正面・上毛かるた絵札

 左の方には色々と案内板があったので、そちらに移動したら読み札もありました。
碓氷関所跡正面・上毛かるた読み札
 上毛かるたに馴染みのない県外の方が予備知識なく現地でコレら(絵札・読み札)を見たらどうに思うのでしょうか。「あぁ、なんかカルタに読まれてるのね」ってくらいですかね。「おぉ~、コレが群馬県民に浸透しまくっている『上毛かるた』かぁ~」なんて人はなかなか居ないのでしょうね(^_^;

 でも当ブログは「上毛かるた」に絡めて「群馬の歴史・文化・産業などなどを紹介する」というポリシー(建前?^_^;)を掲げているので、現地で見た上毛かるたの札にこだわって、合成画像を作ってみました。

■ギモンその1 - 現地の上毛かるた札パネル

 まっすぐ水平垂直に向き合ったわけでもない画像を無理やり合成したらこんな画像になりました。
碓氷関所跡・現地の上毛かるた画像を合成
 無理やりな合成のため「かすみや歪みがあるのはゴメンナサイ」状態なのですが、それを抜きにしても「えっ!?上毛かるたの『碓氷峠の関所跡』ってこんな札だっけ?」と思われた方はかなりの上毛かるた通ですね。どういうことか当ブログ所蔵の『碓氷峠の関所跡』スキャン画像を掲載してみます。
上毛かるた『碓氷峠の関所跡』札画像
大きめの画像なので、不正印刷防止の意味で入れている “sample” 文字が邪魔だとは思いますが、それを差し引いても(特に絵札は)ずいぶん違うモノになっているのがお分かり頂けたと思います。
 上毛かるたに『碓氷峠の関所跡』と詠まれている「碓氷関所跡」そのものなのに、現地に掲示されていた札が、実際の上毛かるたの札と違うのはどういうことなのでしょうか。
 現地の関係者の方ならば事情をご存知でしょうし、上毛かるた関連の書籍に説明があるかも知れません(手元の本にはありませんでした)。

 残念ながら今の私の知識では明確な解答に至りませんが推量で話を続けてみます。

 現在「上毛かるた」の著作権・商標権は群馬県が所有していますが、それは2013年に元の権利者である「財団法人・群馬文化協会」から無償譲渡されたものです。「上毛かるたは郷土の宝。いずれ公に帰すべきだ」という上毛かるた生みの親で群馬文化協会初代理事長である浦野匡彦氏(昭和61年に逝去)の言葉に従った権利譲渡だったそうです。とても素敵な話なんですけど、その権利譲渡が行われる前は、まるでディ○ニーの著作権チェックのような「上毛かるた不正利用チェック」が群馬文化協会によって行われていたという噂がありました。不正利用と判断された場合、どんなペナルティが課せられたのかは分かりませんが、「上毛かるたを使った商品アイデアが浮かんでも権利関係で実現は困難」なんて話もよく耳にしたもんです。
 碓氷関所跡そのものに掲示することに対して群馬文化協会が札画像使用NGを出したかどうか不明ですが、申請手続き自体を避けるためにコピーではなく「似て非なる “オリジナル” 掲示物」として、その当時(というのが、いつ頃のことかも分かりませんが)の関係者が準備したのではないかと考えてみました。

 県が権利者となった現在では、当ブログでも 上毛かるた利用許諾 がもらえるくらいですし、サクっと手続きをして碓氷関所跡も上毛かるたの札のコピーを堂々と掲げても良い気が……
碓氷関所跡・現地の上毛かるた画像を合成
いや、これはこれで独特の味わいがありますし「何かの事情で準備した “上毛かるた風” パネル」として活用し続けてほしい気もします(^^)

■ギモンその2 - 再現された東門の向き

 次のギモンについて、まずはコチラの画像をご覧ください。
碓氷関所跡 目の前の道を入れたアングル
「って、おいっ!さっき階段の上まで行ったのに戻るんかぃ!!!」
はい、すみません。記事の流れによって撮影時間を無視して行ったり来たりは当ブログにありがちなコトってことでご勘弁下さい(^_^;

 この画像がどうしたかというと、最初の方に書いた『碓氷関所跡 東門の位置』の杭が写っているんです。  
それがここ
『碓氷関所跡 東門の位置』の杭に矢印追記

 で、例により雑な合成で恐縮ですが、復元された東門を元の位置付近に移動してみると……
碓氷関所東門を元の位置に合成
こんな様子になりました。
 「サイズがおかしい」「角度がメチャクチャ」という皆様からの突っ込みは受け流して、話を進めます。

 私の考えを整理する意味でも、画像内にコメントを追記してみます。
碓氷関所東門を元の位置に合成し、位置関係を追記
どうでしょう、お分かりいただけましたでしょうか?
 復元された東門を、元の東門の位置に(パソコン上で、かなり雑にですが^_^;)平行移動して見えてきたギモンは、門扉が関所の外に向かって開いていることなんです。これじゃ「暮六つ」過ぎに到着した旅人も好き勝手に門を開けられちゃいます。

 「止むに止まれぬ事情で東門は反対向きに復元されたのかな」とは思いますが、その事情が想像できません。
 その辺の事情、というか、そもそも本当に反対向きに復元されたのかどうかもはっきりしていませんね。「復元された東門の向き」に関する記述がないか、現地の案内板をチェックしてみます。

 門のすぐ横に掲げられているのですから、重要な情報はこられの案内板に書かれていることでしょう。
碓氷関所東門そばの案内板
(A)、(B)、(C)の順で、復元された東門の向きに関する記述がないかチェックしてみます。

(A)の上部は『碓氷御関所絵図 小野 直文書(明治2年)より』とのことなので、絵図部分を拡大してみます。
案内板『碓氷御関所絵図』のアップ
 御番所、平番長屋、番頭屋敷などの建物は平面の見取り図、石垣部分は立体的に描かれ、門に至っては水平に見た正面図を垂直に見下ろした絵図に描き込むというピカソもびっくりな多視点の描き方になっています。
 当時一般的な手法だったのか、小野直文という方が前衛的だったのか、なんだか掘り下げたくなる表現ですけども今は復元された東門の向きから注意を逸らさないよう集中してみます。

 絵図の下の文章は碓氷関所保存会による『碓氷関所の沿革』。ちょっと長いですけど、碓氷関所の解説として分かりやすいので全文引用してみます(ふりがなのルビはカッコ書き()に置き換えています)。

 東海道箱根関所と並び称される中山道碓氷関所(なかせんどううすいせきしょ)が、現在地に設置されたのは元和九年(一六二三)でした。横川は碓氷峠山麓の三つの川が合流し、険しい山が迫って狭間となり、関東の境を守る関所要害としては最適の場所でした。
 寛永十二年(一六三五)に参勤交代(さんきんこうたい)が行われるようになると、徳川幕府は関所で「入り鉄砲に出女(でおんな)」を厳しく取り締まりました。関所手形を提出させ、鉄砲などの武器が江戸に持ち込まれることや、人質として江戸に住まわせていた大名の妻子が国元へ逃げ帰るの防いだのです。
 しかし十八世紀後半以降になると、街道交通の増大に対応を迫られ、関所の改めもゆるやかになります。享和三年(一八0三)以後は「女改め」が簡略化され、ついに徳川幕府が倒れると、新政府は明治二年(一八六九)二月に関所を廃止しました。
 碓氷関所の構えは、中山道を西門(幕府管理)と東門(安中藩管理)で区切り、あいだの五二間二尺(約九五メートル)を関所内として木柵などで囲い、碓氷峠の登り口に堂峯番所を置いて二重に監視しました。
「フムフムなるほど」と思わず引用してみましたが、復元門の向きに関する記述はありません。

 続いて(B)は松井田町教育委員会による『碓氷関所の門』(※碓氷郡松井田町は平成の大合併により安中市になりました。「安中市教育委員会」ではなく「松井田町教育委員会」ということは平成18年(2006年)の合併よりも前に立てられた案内板なのでしょうね)
案内板『碓氷関所の門』のアップ
 コチラはうまく撮れて文字が読める画像なので引用はやめておきます……いや、門の復元に関する記述があるので、その部分だけ文字に起こしてみます。

 門柱および門扉は当時使用されていたもので、総ケヤキ材の要所に金具を用いた堅固なものである。ほかに屋根材六点と台石も当時のもので、昭和三十四年一月、東京大学教授工学博士 藤島亥治郎氏の設計により復元された。
 この位置は番所跡にあたり、復元された門は東門である。
ありゃ、復元時の門の向きの記述はありません(-.-;

 最後に(C)の案内板は……
碓氷関所の周辺を記した案内板
碓氷関所を中心にした周辺の様子と、五街道の中で碓氷関所の位置を示した図でした。
 碓氷峠に関所があったのではなく、碓氷峠を下ってきた先に「碓氷御関所」があったことの他、『姫街道』という気になる名称や当ブログでそこそこ馴染みのある『横川』『五料』などの地名もある、情報モリモリの図になっています。アッチコッチに話題を広げたいところですが、復元された東門の向きに繋がる情報はないのでスルーします。

 「門の向きを疑問視する私がおかしいのかなぁ」と思いつつ、現地で入手した安中市教育委員会発行の『群馬県指定史跡 碓氷関所跡』というリーフレットを見たら………あるじゃないですか!門の向きに関する記述が!!
安中市教育委員会発行「碓氷関所跡」リーフレット

 復元門のある位置は番所跡にあたり、往時の東門であるが、西門の向きとなっている。西門は廃関当時どう処分されたか不明である。
「確かに逆向きに復元されたのは分かりました……でも、え~っと、つまり、なんで逆向きになの?(´・ω・`)」
すみません!!!いま私の手元にある情報では疑問を解消することが出来ませんでした(>.<)
 ギモン1より、答えが見つかる可能性が高いと思って書き始めたのに、スッキリしない内容で申し訳ありません。いずれ何か分かったら改めて個別記事で報告させて頂きますね。

■ギモンその3 - 上毛かるたの絵札そのもの

 碓氷関所跡を初めて訪問した私の頭に浮かんだ最後の疑問は「上毛かるたの絵札は、なんで復元された門をモチーフにしてるの?」ということです。
上毛かるた『碓氷峠の関所跡』札画像
いや、現在見られる史跡の状態を図柄に採用しているのは納得できるのですが、そこに江戸時代の旅人風な人が描かれているので、絵札を見た子どもさん達が当時こんな様子だったと誤認してしまうのではないかと不思議に思ったんです。

 ギモンその2でも書いたように実際の門は階段をのぼった先ではなかったので、なぜこのような絵になったのかという点に疑問を感じました。
碓氷関所東門を元の位置に合成し、位置関係を追記

 絵札を担当した画家の小見辰男氏が、再現された東門を江戸時代の状態のままだと勘違いして、こんな絵札になったのかなぁ、と思いつつ碓氷関所跡東門復元と上毛かるた発行時期を時系列に並べてみたらこんな順番になりました。

  • 上毛かるた初版発行:昭和22年12月1日
  • 碓氷関所東門復元:昭和34年1月
  • 上毛かるた改訂(絵札全面改訂)版発行:昭和43年11月3日
門の復元は上毛かるた初版発行より後だったんですね。

 では、絵札の全面改訂前、初版の上毛かるた【う】の絵札はどんな様子だったのか…。
 残念ながら私の手元に上毛かるた初版はありませんが、こんな画像は持っています。
上毛かるた初版一覧展示
 2018年10月6日から12月9日まで群馬県立歴史博物館(高崎市綿貫町)で行われた企画展「上毛かるたの世界」で撮影した初版画像です。

 群馬県立歴史博物館リニューアルオープン後の初訪問で、常設展示も含めて「どこまで写真撮影できるのかな?」と不安に思ったものの、基本的には個別に「撮影禁止」が明示されているもの以外、フラッシュを焚かなければ撮影オーケーとのことで、そりゃもう山ほど撮影してきました。
 と、県立歴史博物館の話題にずれ込みそうなのをグッとこらえて、上毛かるた初版の【う】の絵札付近を拡大してみます。
上毛かるた初版【う】の絵札拡大
 あちゃ~、ピントが甘いし、そもそも拡大に耐えられる画質じゃない……という点はご容赦願うとして、現在の復元された門とは全然違う様子が描かれているんですね。
 江戸時代の関所が具体的にどんな様子だったのかコレだとちょっと分かりませんが、とにかく階段をのぼった先に門があったのではないことが描かれています。

 以上をふまえてもう一度現在の上毛かるた【碓氷峠の関所跡】画像を掲載してみます。
上毛かるた『碓氷峠の関所跡』札画像
 小見辰男氏がわざわざ上毛かるたの絵札を描きかえるにあたって「碓氷関所の東門が復元されたけど、往時の位置ではなく向きも逆」という情報に接していなかったとは考えられません。にも関わらず復元後の門に江戸時代風の旅人を描いたのは、
「当時の門と違うのは知ってるけど、今見られる門はこの状態。現地を訪れた子ども達が少しでも江戸時代に思いを馳せられるように、復元された門に当時の旅人を描き込んでみよう」
という思いだったのかなぁ~と想像してみました。

 ということで結局、「三つのギモン」に対する答えは三つとも私の推量の域を出ることは出来ませんでした。いずれ何か分かったらご報告させて頂きますが、この記事を読んだ後に「碓氷関所跡」を訪れる方がいらっしゃいましたら「あぁ~、トカ太はこの場所でこんなことを疑問に感じていたのか」と想像して頂けたら嬉しいです(*^o^*)

■オマケ画像 - 門の内側からなど

 ここまで好き勝手に個人的な疑問などを書いてきて「碓氷関所跡(東門)」そのものの画像紹介がおろそかになっていました。既にだいぶ長くなってしまったので、かいつまんで簡単に残りの画像を紹介してみます。

正面側別角度
碓氷関所跡正面側

近寄って屋根をチェック
碓氷関所跡正面側屋根
相変わらずこの手の建築物のどこに注目してよいか分からず、フワフワっとした視点ですみません。

反対に回って、関所内部側
碓氷関所跡内部側(1)

内部側で門扉に注目
碓氷関所跡内部側(2)

金具部分にズーム
碓氷関所跡内部側(3)

見上げると、瓦に家紋らしきもの
碓氷関所跡内部側(4)
家紋という手掛かりから、碓氷関所跡に関してネット検索だけでも色々な情報が見つかりそうですが、今日はもうゴメンナサイです(>.<)

さらに別角度から見た碓氷関所跡内部側の画像
碓氷関所跡内部側(5)
ドローン撮影とかじゃなく(ドローンなんて持ってないですし^_^;)、こう見えるポイントが近くにあったんです。これに至る経緯はいずれ別の記事でご紹介しますね。

そして「オマケのオマケ」という感じで、19年前の2000年12月にトカ太父が撮影した碓氷関所跡
2000年12月撮影・碓氷関所跡
「上毛かるた風パネル」が見えないのは、たまたま出していないのか、当時存在していないのか分かりません。左側の立札も少ないようですけど、その辺の事情も分かりません。今の私には調べようもないので、この画像は「オマケのオマケ」として掘り下げることなく紹介だけで済ませてしまいます。

 最後はかなり端折りましたが、全体としてはずいぶんダラダラと長い記事になってしまいました。久しぶりの更新で気合を入れたから……というワケではなく、ポイントを絞ってコンパクトにまとめる能力が以前にも増して低下したようです。もっと更新頻度を増やして「コンパクトな記事」を書く訓練をすべきなのでしょうけど……今日のところは、とにかく最後までお付き合いいただいた方々に感謝してお終いにします。ありがとうございました。



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コメント
非公開コメント

No title

碓氷峠は名所ですが、関所は1本奥の通りで気付き難いですね、
中山道の杉並木も。←国道より走り易いのでよく通りますが;

門の向きに違和感ありましたが、上毛かるたの絵柄がアレだから
ソレで正しいと思ってたら、やっぱり逆だったんですね…
※上毛かるた(似)のパネル5年前は無く、去年は置いてありました。

2019-09-16 22:21 | from スレイプニル | URL | Edit

No title

トカ太さん流のレポートが懐かしい~。
碓氷峠は有名ですね。
見てサラッと流してしまいそうな場所でも疑問を持って
書いて下さると、より興味が持てます。

この秋は絶対に群馬に行くぞ~!って主人と計画しています。

2019-09-17 10:51 | from apricot・a | URL

スレイプニルさん

「門の向きに違和感ありましたが、上毛かるたの絵柄がアレだからソレで正しいと思ってたら、やっぱり逆だったんですね…」
門の向きに違和感を覚えること、上毛かるたに精通し過ぎてその違和感を打ち消していたこと、なかなか群馬県民でも見当たらないレベルの群馬通!スレイプニルさん、流石です!

「※上毛かるた(似)のパネル5年前は無く、去年は置いてありました。」
5年前には無かったんですか(*o*)
ということは既に群馬文化協会から県に権利譲渡された後に制作されたものなんですね。長々書いた私の説がバッサリ否定されてしまいましたが(笑)、貴重な情報をありがとうございます。
「地元の児童・生徒の絵画コンクールで入賞した絵を活用した」説など、仮説を立てなおして調べてみますね(いつになるか分かりませんが^^;)。

2019-09-17 23:16 | from トカ太 | URL

apricot・aさん

「トカ太さん流のレポートが懐かしい~。」
そう言ってもらえると救われた気持ちになります。ありがとうございます。
というのも、自分で読み返しても「このダラダラ長い記事は致命的だわ。何かの切っ掛けで訪問してもらっても途中離脱する人が多いだろうな~」と反省しつつも、この記事をコンパクトにする案が全く浮かばないもので…(^_^;

「見てサラッと流してしまいそうな場所でも疑問を持って書いて下さると、より興味が持てます。」
重ね重ねありがとうございます。この方針を崩さず、もっと読みやすい内容に出来るよう精進したいものです。

来年実施のJRによる「群馬デスティネーションキャンペーン」に向けて様々な企画・イベントが行われているようです。ぜひ色々な情報をチェックして、素敵な「秋群馬」を味わって下さいね。「秋群馬」で分かりやすいところだと観光農園の「○○狩り」がお勧めできそうです。ご主人と一緒にご検討下さいませm(_ _)m

2019-09-17 23:18 | from トカ太 | URL

管理人のみ閲覧できます

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2019-09-19 15:52 | from - |

鍵コメさん

部外者の私がどんなに「分かった風」なことを書いても、ご本人様たちの感情までコピーできるわけではないので本当の辛さは理解できないのでしょうね。
それでも「何か応援できないか」という気持ちになった時にそちらのブログにお邪魔してコメントすることがあると思います。コメント内容が面倒だったらサクッと削除して頂いてかまいませんので、現在の状況など、またブログを更新して頂ければと思います。などと書きながらタイミングを逃しての訪問になってしまったら本当にゴメンナサイ。

2019-09-22 20:14 | from トカ太 | URL

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